7)竜ヶ水崩壊の全景:
右側の崩壊が停車中の列車を押し流す被害を起こした沢(最上部:238m)である。 中央にJR竜ヶ水駅があり、その左側に駅裏崩壊(最上部:150m)がある。 左上方のうす緑の部分は1977年崩壊の復旧工事跡である。 |
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8)竜ヶ水北沢崩壊のアップ
中央の崩壊の他に、左側に2カ所の崩壊がある。 右側にも2カ所あるが、この内最も右側の崩壊は、現在(2003年)までも、豪雨の時には小規模な崩壊を起こし、 数10m3の土砂を流出している。 (流出土砂は、2001年にできたダムに捕捉されている) |
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9)竜ヶ水北沢の地質断面図
2号ダムより上部は安山岩、玄武岩、花倉層、溶結凝灰岩からできている。 崩壊が起こったのは花倉層からで、安山岩が分布する部分が浸食された。 文献:高谷精二(2003)、竜ヶ水北沢における治山ダムの破壊過程とその原因、南九州大学研究報告、第33号(A)、p9-19 |
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10)竜ヶ水土石流と駅裏崩壊からの流出土砂
a:竜ヶ水北沢からの土石流堆積物 b:駅裏崩壊からの土砂 R:JR竜ヶ水駅 |
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11)竜ヶ水駅付近の土砂堆積と滞水状態。
滞水は、道路海側の波よけの高さ(約50cm)までであった。 |
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12)竜ヶ水駅周辺の土砂と滞水。
堆積土砂の中央に、後続流の跡が見える。 土砂の拡がりは幅約150mである。 堆積土砂の中に、擁壁の一部とダムの一部がある。 黄色点線は道路境界 C1:擁壁の一部 C2:ダムの一部 R:JR竜ヶ水駅 G:ガリンズタンド |
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13)竜ヶ水北沢に発生した土石流の先端部。
土砂に埋もれた電車が見える。 |
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14)竜ヶ水北沢のダムの配置と流下した位置
文献:高谷精二(2003)、竜ヶ水北沢における治山ダムの破壊過程とその原因、南九州大学研究報告、第33号(A)、p9-19 |
15)堤底部を見せて転倒した擁壁 | |
16)転倒した擁壁(海側より撮影) | |
17)玄武岩の落石
長さ約5m。柱状節理の一部である。 |
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18)多量の土砂と倒木を捕捉した落石防止工。
流下物があまりに大量であったため、基礎部分に亀裂が入った。 |
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19)基礎コンクリートの亀裂(引張り亀裂) |
20)残ったダムと流出したダム跡。
写真右側に薄い茶色の部分(黄色矢印)が見えるが、これはボラ層である。 左側にある、角張っている部分(緑色矢印)は、破壊されたダムの一部である。 残存したダムの根入れ部は流出し堤体と土砂が接している様子(紫色矢印)が見えている。 |
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21)破壊されたダムの一部
右岸側(高さ約1.6m),袖部は安山岩である。 |
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22)流失した治山ダム:
下部の実線が残った部分、岩盤がある右岸はダムが一部残ったが、崖錐とボラ層の左岸は全て流失している。 文献:高谷精二(2003)、竜ヶ水北沢における治山ダムの破壊過程とその原因、南九州大学研究報告、第33号(A)、p9-19、(2003) |
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23)流失したダムの左岸に見られたボラ層と崖錐堆積物。
ダムの左岸袖部ははこのようなボラ層によって支えられていた。 右岸側はダムの一部が残ったが、左岸側はボラ層のため完全に流出した。 1号ダム流失の原因は、堤体左岸の基礎と袖部が未固結なボラ層と崖錐であったことによる。 文献:高谷精二(2003)、竜ヶ水北沢における治山ダムの破壊過程とその原因、南九州大学研究報告、第33号(A)、p9-19、(2003) |
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24)堤体前庭部の洗掘と、堤体袖根入れ部分の流失。
ダムの基礎となっているのは安山岩の角礫層である。 礫は1mを越えるものもあるが、平均的には十数cmである。 礫間は安山岩風化粘土と火山灰の混入した砂混じり粘土である。 |
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25)復旧した1号ダムの左袖部に露出しているボラ層。
写真中央右側の茶色の部分。ダム天端より撮影。 |
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26)竜ヶ水北沢のダム流失、前と後
昭和55年につくられた1号ダムと、画面右側にある落石防止工の半分が流失した。 流失の原因は1号ダム左岸側の基礎が、ボラ層と崖錐堆積物であったことによる。 |
27)竜ヶ水の斜面堆積物
表層に火山灰が堆積し、下位の安山岩風化土とは明瞭な境界を示している。 彼女の立っている場所は安山岩の岩盤である。 |
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28)堆積物の断面
上位は桜島からの火山灰、下位は安山岩の風化層、 下位の方が礫が多いが、火山灰中にも安山岩角礫が混入している(黄線が境界)。 このように、火山灰が風化堆積物を覆う構造は、珍しい。 崩壊に対してどのような影響を与えているのだろうか? |
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29)ボラ層
竜ヶ水ではあちこちに露頭があった。 連続性は無かったが、手でひっかくとボロボロ崩れる程度の強度である。 気を付けないといけない。ダムの基礎にしてはいけません。 |
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30)浸食状況(平松神社裏)
約2m浸食された。これが自然の力なのだろう。 |
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31)パイピング跡
小規模な断層中を地下水が流れたもの。 この場所は翌年には草が生えはじめ、3年後には草の繁茂と土砂の堆積により埋められた(高さ約1.4m、幅約0.4m)。 左側のポールは2m、赤白のマークはーつが20cm。 |
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32)パイピング跡
水が流れることはなく、2年後には草に覆われ、その後土砂の堆積によって、現在(2003年)はどこにあるのかも不明。 |
33)竜ヶ水駅裏付近の林内にある小規模な谷止工。
戦後つくられたらしい。ガリー跡の最上部にあるが堆砂はなかった。 |
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34)竜ヶ水の斜面にはえている木はほとんど谷側に傾いている。
これは表層土のクリープ(表土が徐々にズレ落ちる現象)のためである。 |
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35)樹木の傾斜は35度(鉛直より)
地表傾斜:40度 |
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36)竜ヶ水の標高160m付近:
このあたりでは土壌層はほとんどなく、 樹木は岩盤(花倉層)の上に堆積した層厚20〜40cm程度の火山灰層にはえている。 |
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37)崩壊地の頂部:
土壌層はなく、樹木は層厚10cm程度の火山灰の上に生育している。 基盤は硬質の粘土層(花倉層)のため、根は横に拡がっている。 |
38)竜ヶ水災害のモニュメント
平松神社前にある波がえしのカット部分。 8月6日の夜、水はこの波返しまで溜まっていた。 7日早朝、ここがカットされたために、平松神社前の水が排水され、7日朝、竜ヶ水駅から北側が通行可能となった。 現在、竜ヶ水ー帯の災害の痕跡はほとんどなくなったが、このカットは残されている。 一見、無意味に見えるカットであるが、これがある限り、神社裏の沢からの水が道路上に滞水しても、 道路の滞水は30センチを越えることはない。 |
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52)平松神社前の波返しカット部分
8月7日早朝、ここがカットされたために平松神社前の水がひいた。 |
57)竜ヶ水駅前にある災害祈念碑
土石流に流されてきた玄武岩。 |