新燃岳2011年

新燃岳2011年噴火シリーズ


5.噴火に至るまでのことは,下記のシリーズがあります。

    5−1.新燃岳噴火シリーズ1(2009年05月)

    5−2.新燃岳噴火シリーズ2(2010年04月)


1−0.新燃岳2011年噴火直前

写真1.噴火まであと24日
今年、1月2日に撮影された霧島連山です。
雪をかむった、一番高いのが高千穂峰、その右側が二子岩、左側は御鉢です。
新燃岳は二子岩の右側にある、だらだらとした部分ですが、はっきりしたピークはありません。
しかし、この24日後、大噴火を起こすことを誰が予想していたでしょう。
まさに神のみぞ知る,ですね。
近景は都城市内です。(写真は南九大、川信先生が撮影したものです)   
写真2.Before.塗り分けられた空
25日夕方、雲の動きを見ていると、空が二つに塗り分けられたような色になりました。
ワッーすごい、と思って撮った一枚です。   


1−1.新燃岳2011年噴火(1月26日〜27日)


写真1.新燃岳の噴火
夕方、外を見ると妙な雲が出ていることに気が付きました。
ちょっと時間をおいてみても形がかわりません。
「ナンダコリャー」と思ったので、三脚を出して写真を撮り始めました。
その時、S氏より電話があり、「新燃岳の噴火」との連絡を受けました。(撮影時間は17:59です)
写真2.きょうの新燃岳
27日のニュースによりますと、きょうの午後3時頃大きな爆発があったとのことです。
新燃岳と宮崎市は直線で、約50キロありますが、窓ガラスを揺する激しい空振がありました。
その後、西の空に噴煙があがりました。
画面右側に見える連山の右から、甑岳、真ん中が夷守岳,左端が韓国岳です。


1−2.新燃岳2011年噴火(1月27日・29日)

写真3.1.えびの高原から見た噴煙
えびの高原から見た噴煙です。噴煙の下は韓国岳。手前の小屋は駐車料金所。
撮影したのは、えびの高原の喫茶店で明るい笑顔を振りまいている春口 さんで す(撮影日:2011/1/27)。
写真3.2.高原町から見た爆発
高原町から見た新燃岳の爆発。写真左端のピークは高千穂峰、右端が甑岳(こし きだけ)です。(撮影提供:小川和則氏)。
写真4−1.新湯からの新燃岳
新湯から見た新燃岳です。
噴煙は強い北西の風に流されているので、えびの高原は全く灰の影響はありません。
しかし、3月,4月になって、南風が吹くようになると、どうなるのか心配です。
写真4−2.新湯からの新燃岳
新湯から見た新燃岳です。
噴煙は強い北西の風に流されているので、えびの高原は全く灰の影響はありません。
しかし、3月4月になって、南風が吹くようになると、どうなるのか心配です。   


1−3.新燃岳2011年噴火(2月1日)

写真5.手前の火口が新燃岳です。
火口内に黒く盛り上がっているのが溶岩ドームで、これが火口谷壁を越えると火砕流になるのでしょう。
鹿児島県側に出るか、宮崎県側に出るかそれが今後の問題です。
火口壁手前の右側にガリーがあり、従来はここから水蒸気が上がっていましたが、これが無くなっています。
後方のピークは高千穂峰で、その右側のくぼみは御鉢(おはち)です。
高千穂峰、御鉢ともに灰をかむっていて、風が吹くと噴火しているように灰が舞い上がっていますが、
2月半ばから南九州は雨が降り始め、この灰が流れると土石流の発生です。
写真6−Before.静かだった頃の新燃岳
2008年に韓国岳から撮った新燃岳です。
火口内から水蒸気が上がり、西側火口壁(写真右側)に黒い筋が見えますが、これはガリーです。
ここからも少し水蒸気が上がっています。これは昭和40年代にはありませんでした。
火山の魅力は、このように「短期間のうちに形を変える」ところでしょう。
水蒸気をあげる新燃岳と高千穂峰とは,バランスがよく、記念写真の背景としては絶妙で、
韓国岳に登った人の記念写真には、ほとんどこの写角が選ばれているようです(^-^)。   
写真7.新燃岳(2月1日)
手前の火口が新燃岳です。
火口内に黒く盛り上がっているのが溶岩ドームで、これが火口谷壁を越えると火砕流になるのでしょう。
鹿児島県側に出るか、宮崎県側に出るかそれが今後の問題です。
火口壁手前の右側にガリーがあり、従来はここから水蒸気が上がっていましたが、これが無くなっています。
後方のピークは高千穂峰で、その右側のくぼみは御鉢(おはち)です。
高千穂峰、御鉢ともに灰をかむっていて、風が吹くと噴火しているように灰が舞い上がっていますが、
2月半ばから南九州は雨が降り始め、この灰が流れると土石流の発生です。
写真8.溶岩ドームと火口壁
火口内に出来ている溶岩ドームのアップ。
岩塊がゴロゴロしているのがわかります。
火口壁外側には灰が堆積してますが、所々にポツポツと凹みが出来ているのは、溶岩岩塊が落下したものでしょう。
画面右側の筋状の部分は、火口壁外側に出来ていたガリーです。(2月1日撮影)   
写真9.噴火口アップ
新燃岳火口の北側半分です。
新燃岳の噴気は薄いブルーと白色の水蒸気、火山灰の混じった灰の煙の三種類あります。
白色の水蒸気が見えている所が、新燃岳の頂上でした。
火口壁手前は新湯からの登山コースで、火口壁を巡り向う側に行き,下りますと高千穂河原に下山します。
背景は御鉢(おはち)と高千穂峰です。(2月1日撮影)
写真10.新燃岳アップ
新燃岳の南側半分のアップです。
画面右側のピークは、火口壁南西側にある1413mの突起です。
火口内のドームは、溶岩岩塊がガラガラ崩れている感じです。
火口の斜面にできているがりーには、以前は水蒸気が吹いていましたが、
今回の噴火で、ガリーは埋まり、水蒸気も止まっているようです。   
写真11.まだ静かだった頃の新燃岳スケッチ
噴気もなかった頃の新燃岳です。
手前の黒い三角形が頂上(1420.8m)、左側にある二つの突起が通称「ウサギの耳」です。
火口湖への斜面には、階段状の地形が見られました。
写真12.2011年3月4日の新燃岳火口
3月4日に国土地理院が公開した空撮写真から描いた新燃岳火口です。
新燃岳の火口はほぼフラットですが、西側が少し低く、火口を埋めた溶岩のレベルは、目視ですが、 火口壁の上まで4〜5mしかありません。
前回の空撮日から二週間たっていますが、溶岩のレベルはどうなっているのでしょうか?
溶岩が火口壁を越えると、そこは霧島川の源流です。   


1−4.新燃岳2011年噴火(3月24日)

写真13.最近の新燃岳
水蒸気を吹き上げる新燃岳です。
3月23日に爆発があったため火口湖湖面にいくつか爆裂口が開いています。
バックは御鉢と高千穂峰。
(撮影場所:韓国岳 撮影日3月24日)
写真14.火口湖湖面のアップ
真ん中にあるピークは「ウサギの耳」です。
この方向だとーつに見えますが、影はチャンと二つあります。 
手前は火口壁の西側ですが、ここは噴火前には噴気孔があり、水蒸気が出ていました。
茶色くなっているのは最近の雨に火山灰が流され、岩盤が現れたものと思います。
ガリー(雨裂溝)もありましたがこれは火山灰によって埋まっています。
(撮影場所:韓国岳 撮影日3月24日)   
写真15.火口溶岩の表面
爆発の後、火口に上昇した溶岩の表面には大きな穴が開いて、少し灰色がかった噴煙が出ています。
水蒸気は周辺から、水色が勝った煙も溶岩の周りからです。
国土地理院の空撮写真と較べると、その変化がよくわかります。
http://www.gsi.go.jp/kibanjoho/kibanjoho40016.html
(撮影場所:韓国岳 撮影日3月24日)
写真16.火口溶岩の表面
溶岩の表面は小爆発の後、しばらくするとフラットになってきます。
この写真では爆裂口の直径が約10mのもの,約20mのものがみられますが、 これも多分1週間ほど爆発がないと、埋まってしまいます。
おそらくそれは溶岩に粘性があるためと思います。
直径は「ウサギの耳」や火口壁の高さから推定しました。
(撮影場所:韓国岳 撮影日3月24日)   
写真17.溶岩の高さは?
火口を埋める溶岩の高さを推定できる方法はないものか、といろいろ考えてみました。
火口壁の東側にスラスト状の構造を見つけたので、最近撮った写真にもそれが写っていないかと探した所、ありました。
噴火前の写真と、現在の写真を比較してみてこれから推定すると、溶岩の高さは火口から約100mのところ位にあり、 標高にして1350mあたりにあります。
(撮影場所:韓国岳 撮影日6月3日)
写真18.溶岩はどこまで上がってきているか?
現在の溶岩の高さがどのくらいかを推定できないかと、噴火前の写真を探していた所、
火口西側から撮った火口壁の写真が見つかりました。
楕円で囲んだ所にスラスト状の構造が見えますが、ここを指標にして、 現在の溶岩が上昇しているかどうかを見てみることにしました。
写真左端あたりが頂上です。
  

1−5.新燃岳2011年噴火(6月4日)

写真19.活動的な火口
映像は韓国岳からです。写真のほぼ中央に大きな水蒸気の塊が写っていますが、 ここは火口の東端部分にあたり、この下には「文政火口」がありました。
噴火前の写真では泥で埋まっていて、昭和34年の噴火の時にも活動しませんでした (福岡管区気象台調査報告:宮崎県蔵書館資料)
(写真提供:山尾深佳氏、撮影日時:6月4日8:07am)
写真20.新燃岳火口
韓国岳山頂から見た新燃岳火口です。
撮影が朝7時なので逆光気味ですが、正面に見えている西側斜面の灰は流され、 斜面下部の木は新芽で緑がかかっているのがわかります。3月の映像と比較すると水蒸気が多いようです。
(写真提供:山尾深佳氏、撮影日時:6月4日7:05am)   


2.降灰のこと

写真1.降灰状態
曇っていますが、雲なのか、灰なのかは不明。
少し硫黄臭があり、うっすらと灰が積っています。(1月28日撮影)
写真2.道路の灰情報
宮崎小林間は灰まみれです。
宮崎を出て高岡までは,灰が少しづつ増えてきますが、
野尻に入った途端多くなり、チョット風が吹くと白い煙となって舞い上がっています。
一番多いのは、野尻の道の駅「ユーポート」あたりで、ここをすぎると急に少なくなり、小林は灰の被害ゼロです。
気をつけて走ってください(写真は1月29日の268号線です)。   
写真3.降灰状態
きょうは都城に行きましたが、その間に撮った道路の降灰状態です。
R-269で都城に行きますと、田野あたりまで変化無く、山間部に入ると木々が白くなっているのに気がつきます。
道の駅山之口の駐車場には、灰が溜まり風が吹くと舞い上がっていました。
269号が平地に入ると、モーモーと白煙が上がり、視界は300mくらいになります。
「これ以上、町に入りたくない」と思いましたが、
そうは行かない、ここにも人の生活はあるんですネ。
センターラインが灰に埋っている。(1月31日撮影)   
写真4.降灰の状態
撮影場所は三股町です。
車が通る所は,灰が無くなっていますが、通らない所は、溜まったままで厚さは2,3センチあります。
画面は東向きに撮った映像ですが、
真ん中あたりには、通常ならば日南市との境界となる山々が見えますが、降灰のために見えません。
視界は建物の見え具合から判断すると4,500m位でしょう。
きょうは鹿屋出身の学生に会ったので,「このくらいの灰は慣れているでしょう」といったら、
「鹿屋もこれほどひどくはないです」とのことでした。(1月31日撮影)
写真5.降灰状態
灰に埋まった町道。(1月31日撮影)
写真6.降灰状態
灰を運ぶ人。(1月31日撮影)   
写真7.R-269の降灰状況です。
駐車スペースへの降灰、車道路面には無い(道の駅山之口まであと1分)。(2月8日撮影)
写真8.R-269の降灰状況です。
路路脇の雑木への降灰付着(山之口町)。(2月8日撮影)   
   
写真9.R-269の降灰状況です。
植え込み下へ溜まった降灰(南九州大学都城キャンパス内)。(2月8日撮影)
写真10.荒川内川に沿った地域の降灰。
吉之元町の荒川内川に沿った地域の降灰の様子です。
望原での畑、降灰に覆われています。(2月22日撮影)   
   
写真11.高千穂峰の南面。
高千穂峰の南面です。白い部分が降灰。(2月22日撮影)
写真12.南側から見た高千穂峰と御鉢。
写真右側の峰が高千穂峰、左側の少し傾いた尾根が御鉢です。
表面が白いのは降灰ですが、御鉢の方が多く、高千穂峰の方が少ないのがよくわかります。(2月22日撮影)   
   
写真13.御鉢のアップ。
御鉢(おはち)のアップです。写真右側を登って行くと高千穂峰です。
写真の右上から斜めに横切る黒い線は溶岩が盤状に崩壊してできた崖で、山体を白く覆うものは降灰です。
これが全部下流に流れてきます。(2月22日撮影)
写真14.御鉢の尾根のアップ。
さらにアップにしてみました。
白い部分が灰の堆積部分ですが、相当な量であることが伺えます。
黒い部分は崖なので灰の堆積はありません。
尾根筋には溶岩の一枚一枚が見えますが、これがぼくのカメラの限界です。(2月22日撮影)   
   
写真15.御池(みいけ)橋から見た荒川内川
床固工のうえにつもった降灰です。
まだまとまった雨が降っていないので、降灰は渓床全体に分布しています。
橋の位置はN31°51'23.34 E130°55'49.83です。(撮影日:2月22日)
写真16.屋根に溜まった降灰
都城市内の家の屋根に溜まった降灰です。
このまま雨が降ったらトイが壊れてしまいます。(撮影2月22日)   
   
写真17.噴出物の堆積
新燃岳から噴出した火山灰は、表面がモルタル状に固まり、その下側が礫状になっている。
モルタル状になった固結層の厚さは、7〜10ミリ程度、礫状部の厚さは7センチ程度である。
礫状部の下にある湿りのある部分は、地山で、根や落葉がある。(撮影:3月8日,撮影場所:御池小近く)
写真18.火山灰の様相
火山灰は軽石質のものが降下した後に、粒径の小さなものが落ちる。
その後、雨などの水分によって、表面が固まり殻状となる。
これは薄く数ミリ程度である。(撮影:3月8日)   
       
写真19.固結した表層部
固結した表層部は、厚さが7〜10ミリ程度である。
しかしセンベイ程の強度はなく、このまま指に力を入れるとつぶれる。
写真20.火山灰の堆積状態
降下火山灰は先に重い火山礫が落下し、後で軽い細粒物が落ちる。
このため二層となり、表層には細粒物、下位に礫径が1〜2cmの火山礫となっている。
周辺の植物には葉がない。(撮影場所:御池小近く)  
    写真21.火山灰の堆積状態をアップ
灰黒色の表層部は固結し、厚さは5〜10ミリ、二層目の火山礫層は層厚5〜10センチである。
火山礫の下位にある黒色部は土壌層(地山)である。
したがって、調査した場所での降下火山灰の厚さは5〜10センチである。
(調査場所:御池小近く、撮影日:3月8日)   
   
写真22.鹿の足跡
鹿、猪、ウサギの足跡は無数にあるが、彼らのエサとなる草はどこにもない。
写真23.葉のない雑木林
葉のない雑木、この季節の場合、木は葉を付けているが、火山灰の落下によりほとんど葉がない。 林床は灰色の火山灰に覆われている。(撮影:3月8日,撮影場所:御池小近く)   


3.土石流のこと

写真1.新燃岳周辺の渓流
新燃岳の東側(宮崎県側)には、
高千穂峰からの水を集める高千穂川、
新燃岳と矢岳のコル部に源流のある矢岳川、
大幡山から流れ出す大幡川があります。
これらの渓流は、これまでもたびたび土石流を発生しているので、
いずれも火山地帯の荒廃地重点砂防が行われてきました。
しかし,今回の噴火でさらに莫大な量の火山灰と噴石を排出しました。
南九州はまもなく菜種梅雨となり雨が降り始め、土石流の発生が心配です。   
写真2.新燃岳説明
新燃岳は円形の火口を持つ火山です。標高は1420.8mですが、報道では1421mが使われています。
火口内にある湖の標高は1239mです。
真ん中に小さな湖があり、周囲の火口壁では噴気孔があり水蒸気が上がり、噴泥もありました。
湖の左側にコンターが乱れている部分がありますが、ここは霧島川の源流部で、深さ2,3mのガリー(侵食溝)となっています。
ここには噴気もあり、また噴火口内側には噴気孔がありました。
図の真ん中付近から下側に向かう鎖線は宮崎、鹿児島の県境で、登山道になっているので、 新燃岳の行政区画は大部分が鹿児島県に属しているといえます。
左上方に「市」と見えているのは霧島市(鹿児島県)です。   
写真3.土石流段丘
霧島川最上流部の土石流段丘です。
最上流部なので規模は大きくありません。
2008年8月に発生しました。(2009年撮影)   
写真4.土石流段丘
大幡川上流部に残る土石流段丘です。
表面は樹木に覆われていますが、フラットな面が連続し段丘の痕跡を残しています。
樹木の年輪解析から、35〜40年前に発生したと推定されました。
沢にある岩塊は,大幡川を流下する安山岩です。(2009年撮影)
写真5.矢岳川の砂防施設
矢岳川上流部の床固め用低ダム群です。
数年間、土石流の発生がなかったため、渓床にはマツやヤナギの稚樹が育っていました。
渓岸には渓床監視用のビデオカメラ、超音波流速計が設置されていましたが、この降灰でどうなっているでしょうか。 (2005年撮影)   
写真6.矢岳川上流部の浸食
矢岳川上流部の沢口に出来た段丘を、次の土石流が浸食したため、段丘の堆積構造が見えるようになりました。
段丘を構成する礫は比較的小さく、マトリックスは砂から細礫です。(2005年撮影)
写真7.土石流の跡
矢岳川の砂防ダムに残された岩塊で、源流付近では1〜2m程度の岩塊が補足されています。

  
写真8.砂防ダム群を俯瞰(ふかん)する
矢岳川の砂防ダム群を矢岳登山中に見下ろしました。
気になるのは林道の橋の部分で、渓床幅がボトルネック状に狭まっていることです。
渓床の狭窄部は土砂を溜めてしまいます。
写真9.土石流による橋脚の浸食
矢岳川に架かる橋の橋脚部分で、土石流により橋脚のコンクリートが浸食されています。
渓床部分では40cm程度削られ、浸食の影響は、渓床より高さ1.5m程度まで及んでいることが解ります。   
写真10.小規模な土石流
霧島山系中では、小規模な土石流は毎年起こっています。
ここは高千穂川の上流ですが、写真の真ん中左寄りに、水平の地形がみえます。
ここは土石流の堆積土砂で、その後の浸食によって二段の段丘ができています。
堆積している土砂の粒径は、小さく2〜5センチ程度です。   
写真11.小渓流の土石流堆積物
昨年の豪雨で堆積した土砂が浸食され、段丘をつくっている所です。
堆積物の礫径は1〜2cmで、全体的には軽石です。
この周辺には,御池ボラが2m程度堆積しているので、これが崩壊し流下、堆積したものでしょう。
撮影場所は山田川上流部です。   
写真12.山田川上流部の砂防ダム
山田川上流部の砂防ダムと公園。公園はダム上流部の堆砂域を整備したものである。
現在の所、ダムの水通し部には泥流の跡はみられないが、 数ヶ月後、この写真は泥流発生前を記録する重要な資料となるだろう。 (撮影日:3月8日 撮影場所:N31° 51'37.88" E131°59'46.43")   
写真13.堆砂を除去した治山ダム
荒川内川の堆砂を排除したダムを上流側から見たものです。
今のところ火山礫などの火山性の堆積物は見えず、表層堆積物の移動はありません。   
写真14.荒川内川の砂防ダム
宮崎県では先週台風が通過し、三日間で100ミリ前後の降雨がありました。
泥流発生のニュースは出ていませんが、現状を見に行ってきました。
この治山ダムは2月23日にも同じ写角のものをアップしましたが、 ダム下流部に灰色の部分が見えるのは火山礫です。
ダム天端にはなにもなく、ダムの中央付近にある草で覆われた盛り上がりは、 以前に流出した土石流がここで止まり、その上に草がはえたものです。
したがって泥流の発生はなかったものと言えます。   
写真15.地表面の変化
先週、台風に伴う雨がありましたが、その結果、斜面に降り積もっていた火山噴出物の内、 砂以下の細粒部分は流され、比較的大きなものが残されています。 目視では礫です。歩くと砂利の上を歩いているような感じで、ジャリジャリと音がします。 以前は二層構造(表面の粘土粒径物と下位の礫)がありましたが、それがなくなりました。 二層ある時は、この上を歩くと細粒物が舞い上がり、ほこりまみれになりましたが、今はそれもなくなりました。
撮影場所:御池小学校近くの斜面 撮影日:5月31日   
写真16.林内の火山礫
植林地の林内に見られた火山礫の堆積です。
元々あったガリーに周辺から流れ込んだ様相ですが、周辺の状態から見ると堆砂深さは50cm程度でしょう。
量としては多くないです。ついでにこの下流側を覗いてみますと、礫の堆積はありません。 と言うことは、斜面に積もった火山礫の動きは、非常にゆっくりしていて、「ただちには出てこない」ようです。
場所は御池小学校西側の標高570mあたりです。   
写真17.完成した堆砂ダム
荒襲川の上流、R223沿いにできた堆砂用のダムです。 堤高はさほどではありませんが、堆砂域は大きいです。
ただここに流れ込む入り口が橋になっているので狭く、泥流が来た場合、流れ込む前に道路上に拡散する恐れがあります。 いずれ改良されるとは思いますが(場所:都城市荒襲(あらそ))   
写真18.土石流堆積部
荒川内川に見られる土石流堆積物の断面です。
礫は数センチのものから、最大径は5,60センチあります。
最上部に見える黄褐色の層は、御池テフラ(4600年前)です。(場所:戸ノ口橋の横)   
写真19.礫流の出方
植林地内にできたガリーです。
降下した火山礫はスギの枯葉に覆われています。
なんの変哲もない写真ですが、次の写真と較べると、流れ下る礫の速度と形態が解ります。 (撮影日:5月31日)
写真20.礫流の動き
ガリーの中を半分くらい埋めた軽石。
前回(5月31日)の調査の時には、ありませんでした。
したがってガリーの中の軽石は、14日から16日の大雨によって流されたものでしょう。
厚さは約30cmあります。 (撮影日:6月17日 撮影場所:御池小学校の北西700m、正確にはN31°52'08.63" E130°56'24.25")  
写真21.定点観察
ダム堆砂地の上流側を見たところです。
3月26日の撮影なのでこのころ噴火もそれほどなく、雨も降っていないので地表面には枯葉が溜まっています。
という何でもない写真なのですが、次の写真と比較するとその変化の状態がよくわかります。   
写真22.定点観察(2)
前回(3/26)に比較すると礫(軽石)が少し増えているのがわかります。
沢の奥右岸側にある太い枯れ木、中程にある木を指標にすると、30cm位の堆積があったことが推定できます。
この間の雨量は、6月14日から16日にかけて300から400ミリありました。
礫の動きは極めて緩慢で、土石流を起こすものではないと思います。   
写真23.堆積した礫の厚さ
ダムの堆砂地に堆積した礫の厚さは5〜10cm程度です。ここでは7cmあります。
白みがかっているので、下部の堆積物とははっきりと区別できます。
礫の履歴は新燃岳の噴火によって飛ばされてきたものが、斜面に堆積し、
今回の豪雨で沢に流されてここに堆積したものです。
堆積物の粒径は目視ですが、3〜1mmで、区分は礫〜粗砂でしょう。
場所は御池小学校より北西の標高570mあたりです。   
写真24.火山堆積物の変化
新燃岳では「土石流がおこる」と言われながら、
未だに土石流の発生はありません。
新燃岳周辺で起こる土石流発生のメカニズムは、噴火後に積もった火山灰には表面に細粒土があり、
これが「モルタル状となり、水のしみこみを妨げ土石流となる」と説明されていました。
しかし、新燃岳では雨が降ると細粒土は流されてしまいました。
土石流は泥(粘土粒子)と石礫が混じって流れますが、
ここではその粘土粒子が無くなっています。
現在は,粒径の大きな礫が露出していますが、礫は径が大きいので流されにくく山の斜面に留まったままです。
正確に言えば、大雨の度に少しづつ動いていることが観察できますが、
それは小規模で土石流となるような規模ではありません。   


4.かっての新燃岳のこと

   
写真1.在りし日の新燃岳
高千穂峰から西をみた景色です。
画面中央に山の形になっているのが,中岳で、その後にあるなだらかな丘みたいな所が、今噴火している新燃岳です。
新燃岳は岳とついていますが、山の形は岳らしくないですネ。
全体的に茶色いのはススキの色で、後方は韓国岳です。
残念ながら、この景色も今後数十年間、見ることはできないでしょう(2008年11月撮影)
写真2.新燃岳北斜面
噴火6年前に矢岳から撮った新燃岳北斜面です。
写真中央付近にある黒い部分は、矢岳川の浸食による崩壊地で、浸食の先端部にあたります。
斜面は全体的には広葉樹に覆われ、雪の積もった頂上付近はススキ原でした。
もちろん、4月にはミヤマキリシマも咲きました。
今は、ここも全て火山灰の下になっているでしょう。(2005年3月撮影)   
写真3.矢岳川源流部の炭化木
新燃岳北側は矢岳川の源流になっていますが、ここには沢山の炭化木が見られます。
炭化木は,1716〜1717年(享保2年)の噴火の際に、火山灰に埋もれ炭化したものが,火山灰の流出によって現れたものです。
炭化木は十分炭化したものと同時に、炭化せず元の木の組織を残したものもあります。
これらも今回の噴火で再度埋もれたでしょう。
そして、今から三百年後に土石流によってまた洗い出され、炭化木として発見される、、、カモ.
写真4.炭化木の縦穴
ここは矢岳川の源流部で、昔、新燃岳が噴火した時に生えていた木が火山灰に埋もれ、  幹が炭化した後、その部分が穴となっている所です。
間違って落ちると危険なので周辺を囲っているところです。
こんな穴も今回の噴火によって埋められてしまったでしょう。   
写真5.炭化木の穴
炭化木が出来る原因は、木が生えている所に火山灰が降り積もり、木が蒸し焼きになり炭化します。
それが長い年月の跡地表に出てきて、幹の部分が穴になったものです。
人が落ちるとあがれません。矢岳川の源流部には、こんな炭化木の跡が点在し、  危険なので地元の有志が、立て札を立てたり穴の周りに杭を立てていました。
これも灰に埋もれたでしょう。
写真6.新燃岳火口壁を歩く
新燃岳火口壁を飾るミヤマキリシマの群落です。
火口壁の上は、火口を半周する登山道になっていました。
バックの三角形は高千穂峰です(2005年撮影)   
写真7.新燃岳火口壁の散策路
新燃岳の頂上には、火口壁に沿う登山道がありましたが、
そこは火口湖や、韓国岳、振り返れば高千穂峰を見渡せる景色の良い所でした。
4,5月にはピンクのミヤマキリシマが目を楽しませてくれて、
最近では登山グループからハングルが聞こえる機会も多くなっていました。
後方は韓国岳です。   
写真8.昔の新燃岳
静かだった頃の新燃岳です。
噴気もなく火口内壁にもミヤマキリシマや草がはえていました。
火口湖の水位も十分な頃です。
「水位が十分」というのはチョットおかしいですが、以後、新燃岳に何かあると水位が下がりました。
写真左側の突起が通称「ウサギの耳」です。
この下にある段々状の地形は、前回の噴火の時に上がってきた溶岩が活動の終息によって、しぼんだためにできた地形でしょう。 (撮影:2004年)。   
写真9.過去のイベント
新燃岳火口の北西側に見えていた岩相で、溶岩が下から突き上げるような形のまま固まった様相をしています。
溶岩なのに堆積層のような横縞が見えています。
このすぐ上が獅子戸岳への登山道でした。今や過去形になりましたが。   
写真10.高千穂峰頂上
坂本龍馬も登ったという高千穂峰の頂上です。
真ん中に見える杭みたいなものが「天之逆鉾」で、龍馬はこれを抜いたとか?
今は小さな鳥居がたっていて、近づけません。
ここも今は灰に埋もれているでしょう。   


5.噴火に至るまでのこと


   1.新燃岳噴火シリーズ1(2009年05月)

   2.新燃岳噴火シリーズ2(2010年04月)

 
写真1.2004年11月に韓国岳から撮った新燃岳です。
西側火口壁(写真右側)に黒い筋が見えますが、これはガリーです。
これは昭和40年代にはありませんでした。
火山の魅力は、このように「短期間のうちに形を変える」ところでしょう。
  
写真2.2008年に韓国岳から撮った新燃岳です。
火口内から水蒸気が上がり、西側火口壁(写真右側)に黒い筋が見えますが、これはガリーです。
ここからも少し水蒸気が上がっています。これは昭和40年代にはありませんでした。
火山の魅力は、このように「短期間のうちに形を変える」ところでしょう。
水蒸気をあげる新燃岳と高千穂峰とはバランスがよく、記念写真の背景としては絶妙で、
韓国岳に登った人の記念写真には、ほとんどこの写角が選ばれているようです(^-^)。
写真3.噴火前の新燃岳
エメラルドグリーンの湖水をたたえる新燃岳の火口湖です。
この時噴気はありませんでした。背景は韓国岳です(2004年撮影)。   
写真4.過去のイベント
新燃岳火口の北西側に見えていた岩相で、溶岩が下から突き上げるような形のまま固まった様相をしています。
溶岩なのに堆積層のような横縞が見えています。
このすぐ上が獅子戸岳への登山道でした。今や過去形になりましたが。   
写真5.新燃岳火口湖。
(2008年11月撮影)。
写真6.新燃岳火口湖。
背景は韓国岳(2008年11月撮影)。   
写真7.新燃岳火口湖の変色
新燃岳火口湖が茶色に変色しニュースになりました。
外側が薄い茶色で、内側は濃い茶色です。
ただし,これは水の変色ではなく、流れ込んだ泥の色です。
噴気は手前に少々、背景は韓国岳。
(2009年5月撮影)
写真8.新燃岳火口湖が茶色に変色しニュースになりました。
外側が薄い茶色で、内側は濃い茶色です。
ただし,これは水の変色ではなく、流れ込んだ泥の色です。
噴気は手前に少々、背景は韓国岳。
(2009年5月撮影)。
写真9.昔の新燃岳火口壁
噴泥のあった新燃岳西側の火口壁です。
水蒸気の出ているものが新しくできた噴泥孔で、下方に泥の流れた跡が残っています。
画面中央付近にある穴は以前からのものです。
(2010年4月撮影)
写真10.噴火前の新燃岳火口壁
新しくできた噴泥孔は、写真をよく見ると噴泥孔の割目が後方の火口壁につながっています。
このことから、火口壁は、ここから崩れ始めるのではないかと思っていました。
割目の外側には小さな噴気孔が数ヶ所あり、深いガリーも刻まれていたので、
噴気から出る強酸性の水蒸気による風化と、ガリーによる浸食により,
新燃岳の火口壁は、やがてここから崩れ、霧島川の源流になるのではないか、
と予想していましたが、噴火してしまいた。
でも、火山は魅力的です。
武田信玄が言ったという「動かざること山のごとし」という有名な言葉がありますが、
一夜にしてガラリと変わる山もあるんですネ。(^-^)   
写真11.火口壁西側の噴泥孔
火口壁西側の崩れと噴泥孔。噴泥孔は2009年にできたもので、登山道に2,3センチの厚さの灰白色の泥を堆積した。
今ここには溶岩が上昇し、火口壁の上部に見える黒い溶岩層あたりまで、新しい溶岩で埋められている。 (2010年4月撮影)

溶岩の流出は近い!!!
新燃岳は、土石流の発生に注目されているが、その間に火口内には溶岩が上昇を続け、 今それは火口壁を越えようとしている。
2月26日に国土地理院から発表された空撮写真を見ると、火口内側で徐々に上昇してきた溶岩の高さが、 新燃岳火口壁に迫っている状態が撮影されている。
新燃岳火口壁の低い場所は、新燃湖を中心にして、西側N70Wの標高1300mの部分であり、 目視であるが火口壁の高さまで、あと数メーターしかないように見える。
この部分は霧島川の源流部で、深さが2〜3メ-ターのガリーが刻まれていた場所(*)で、 噴気孔もあり水蒸気を噴出していた。
さらにこの場所の火口壁内側には、2009年に噴泥があった時に、新しく噴泥孔ができた場所でもある。
溶岩がこのまま上昇を続ければ、火口壁を越える場所は霧島川のを下ることとなるが、 それは時間の問題では無ないだろうか。 (*)位置:N31°54'43.31 E130° 52'45.13
ご参考:国土地理院の空撮写真:
http://www.gsi.go.jp/kibanjoho/kibanjoho40020.html
10時1分撮影のものが最もよい撮影位置です。



表紙にもどる。 inserted by FC2 system