26年災害速報

1.広島土砂災害

広島市の土砂災害

2014/08/23 (Sat) 08:52:30
今朝のニュースでは、40名の方が亡くなり、行方不明の方は47名とのこと。
政令指定都市の広島市の市域内で、これだけの被害があることは信じられないです。
テレビのニュースや、ネットから被災地域を見ると、
このあたりの地形は、
太田川から緩い傾斜地が続き、山の傾斜になるという、山裾の典型的な地形です。
これは,後の山から流出してきた土砂が溜まった地形です。
だから,元々は農地として開発され、おそらく果樹なんかが栽培されていた所と思います。
それが昭和40年以降の宅地化と、政令指定都市による人口の急増により宅地化されたものでしょう。
住んでいる人にとっては、緩い傾斜地なので、
見晴らしも良く、宅地としてはいい所だったと思います。
しかし,元々後ろの山から土石流によって運ばれた土砂によって造られた土地なので、
土石流の危険性をはらんでいたといえます。
TVニュースの中で、一人のおばさんが,
「30年住んでいて、こんなことははじめてです」。と言っていましたが、
自然の営為を考える上では30年はあまりにも短いです。

1−1.広島土砂災害写真(2014年11月8日撮影)


写真−1.広島土砂災害

今年7月に起こった広島市安佐南、安佐北区の土石流調査に行ってきました。
調査場所は家屋被害、人的被害の大きかった八木町の反対側の沢です。
写真では二本の沢がありますが、中央の沢です。
沢は写真のように、上流で三本の沢に分かれ下流で一本になり、太田川に流入しています。
太田川の右岸にはR-177が通り、この写真では土石流によって埋まっていますが、
調査当日(11月8日)は通れるようになっていました。
使用した写真は、国土地理院から緊急空撮映像として配信されたものです。


写真−2.広島土砂災害:調査対象の沢

調査した沢の位置とコースを示します。
ここは阿武山の北側にある沢で、中流(標高193m)で三つに分かれています。
登ったのは最も下の沢で、黄線で示したコースです。
標高は,沢の出口が54m、三つに分かれている所が193m、崩壊地の最上部は497mです。
なお,この沢の分水嶺は520mなのであと20m程登れば頂上だったのですが、
崩壊地の最上部で引き返しました。
なお,標高の表示はガーミンのGPSを使用しています。
使用写真は産総研のシームレス地質図です。


写真−3.広島土石流災害:宇津の沢、断面推定図

調査した宇津の沢(仮名)の概念図を描いてみました。
上から説明しますと、
尾根は520mですが、ここまで行っていません。
崩壊の頂上は497mで、ここから厚さ50cm程度の粘土層が笹層の上をすべり、
少しずつ浸食深さを増してきます。
標高350m付近から浸食域となり、
始めは深さ1〜2m程度であったのが、15〜20m位になります。
標高150m以下になると,土石流は堆積、拡散しながら太田川に流入しています。
標高はGPSデータです。


写真−4.広島土石流災害:沢入り口

排土の終わったR-177です。
写真左側の土砂は、太田川の河川敷に排土された土砂です。
写真右側が沢の出口ですが、元の擁壁は被害を受けていません。
擁壁の白い部分が土砂の拡散堆積した部分です。


写真−5.広島土石流災害:太田川への土砂流入

太田川に流入した土砂です。
災害発生当時は、もっと大量に溜まっていたと思います。
扇状地の様相を呈していますが、このようにして、土砂は下流へ移動するのでしょう。


写真−6.広島土砂災害:沢の入り口から上流側を見る

沢の出口から上流側を見たところです。
沢の周辺は直径40〜50cmの杉林なので、
昭和30年代終わりから40年代の初頭に植林されたものと思います。
沢の中央に黒く見えるのは、土砂を詰めて並べた仮堤で、ここまでは整地されています。


写真−7.広島土砂災害:沢を構成する岩石

この沢を構成する岩石は、ホルンフェルス化した砂岩頁岩です。
写真では,薄い砂岩、頁岩の微褶曲が見られます。
広島県で土砂災害と言うと、すぐに「マサ土」と言われますが、
一部はこのように古生層も分布しています。


写真−8.広島土砂災害:貫入岩脈

ホルンフェルス化した砂岩頁岩層中に、貫入した岩脈がみられました(黄色矢印間)。
岩脈には石英脈がみられ、一部粘土化していました。
岩脈の走向はN12E,80S落ちです。
この沢の方向がN80Wなので、岩脈は沢を横切るような方向にあると言えます。
沢の水はここまでは無かったのですが、ここから上流には水が見られるようになりました。


写真−9.広島土砂災害:浸食された堆積層

標高約150mの沢の様相です。
渓床は最大直径2m程度の岩礫に覆われています。
浸食された側壁の斜面堆積物の層厚は15〜20m、土質は大礫混じり粘土層で、
傾斜は60〜80度あり、礫の直径は最大で約2m程度です。


写真−10.広島土砂災害:途中から下を見ると

沢の開けた所で下を見てみました。
川らしきものが見えているのが、下を流れる太田川です。
礫は砂岩頁岩が熱変質を受けたホルンフェルスで、非常に硬いです。
左右の崖は崖錐堆積物。大礫混じり粘土層です。


写真−11.広島土砂災害:標高250mの土層断面

標高250m付近から笹が目立ち始めます。
同時に土層の厚さが薄くなります。
植生が笹で、表層には直径10〜30cmの角礫が分布し、
下部は粘土を主体とした土層があり、
亀裂の多い基盤岩へと続いています。
基盤岩はホルンフェルスで、斜面傾斜角は32度です。
スケールは2mです。


写真−12.広島土砂災害:渓床堆積物の断面

250m付近の渓床断面です。
一番上のラインが土石流発生前の斜面で、
二番目のラインは前回発生前のラインじゃないかと思っています。
もっとも確かな根拠はなく、堆積物の色が少々黒ずんでいるので、
ある期間、地表だったのではないかと考えました。
一番下のラインは今回できた渓床ラインです。
これから、ここを基準にして堆積が始まるんでしょう。
多分、数百年間。


写真−13.広島土砂災害:標高415mの崩壊頂部

登った崩壊地の頂部は二つに分かれていました。
ここは副崩壊です。
崩壊地の周りは雑木と笹がはえています。
笹が生えている崩壊地は始めて見ました。
崩壊地の深さは50cm程度です。
土質は礫(ホルンフェルス)の多い部分と、粘土の多い部分があります。
パイピング孔なんかないかと探してみましたが、見つからなかった。


写真−14.広島土砂災害:崩壊地頂部497m

崩壊地の最上部497m地点です。
崩壊発生となったパイピング孔なんか探して見ましたが見当たりませんでした。
元々の地表傾斜角は16度で、土質は茶褐色の粘土。礫は見当たりません。
土壌層は10cm程度です。
植生はアカマツが目立ちます。
この写真では左側にある倒れた木がそうです。
右側に数本細い木が見えますが、名前はわかりません。


写真−15.広島土砂災害:崩壊地最上部より斜め下方を見る

崩壊地最上部497mから、左側下方を見たところです。
大きな木はほとんどアカマツで、頂上部分はアカマツが多いです。
元々の斜面と崩壊地の斜面が写っていますが、
崩壊は下方の斜面が引っ張られて滑っていったように見えます。
土質は粘土質で礫はほとんど見当たりません。


写真−16.広島土砂災害:標高280m付近

標高280m付近の笹が多くなった斜面です。
笹は倒れ上部から滑ってきた土砂によって倒されたような様相を呈しています。
したがって,崩壊の初期には、薄い崩土が滑っていったと言えます。


写真−17.広島土砂災害:倒伏した笹のアップ

標高280m付近に見られた笹層のアップです。
笹の径は1センチ以下で細く、笹の間を粘土がこすりつけられたように埋めています。
これは粘土層が笹の上を滑っていったことにより,できたものと考えています。



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